どうして見返りを求めちゃうの?

メンタル

 こんにちは! 大学院生のすとりりです。

 今回は、見返りを求めてしまったり、相手期待してしまうあなたに向けてお話ししていきたいと思います。私も昔は人に見返りを求めることが多かったり、なんでできないの?と思うことが多くありました。なので、見返りを求めない、相手に求めすぎなくなった私のマインドをお伝えできればいいなと考えています。

目次
1.「せっかく」、「〇〇してあげたのに」
2. 善意の押し付けになっていない?
3.「せっかく」、「○○してあげたのに」の言葉の冷たさ
4. そう思わないためのマインド
5. 最後に

1. 「せっかく」、「〇〇してあげたのに」

 「せっかく」、「してあげたのに」って思うことよくありますよね。
 でも、よく考えてください。

 それは、本当に相手がしてほしいと思ったことですか?

 確かに、あなたが頼まれてやったのであれば100歩譲って言う権利はあると思います。思わないのがベストですが、、、
 ここからは、こう思ってしまう原因についてお話していきたいと思います。

2. 善意の押し付けになっていない?

 この「せっかく」、「〇〇してあげたのに」って思ったとき、それは本当に相手がしてほしかったかどうか考えてみてください。

 僕が思うに、この言葉が出るときって大体頼まれていないのにやったり、最初は善意だけでやったことではないですか?別にここで事が終えればいいのです。ただの善意ですから、、、

 しかし、「せっかく」、「してあげたのに」と思ったり、言葉にした瞬間、善意の押し付け。いわゆる「おせっかい」、「いらぬ世話」となってしまいます

3.「せっかく」、「○○してあげたのに」の言葉の冷たさ

 僕は、この2つの言葉はとても冷たい言葉だと思います。

 この言葉を思ってしまった瞬間、善意の押し付けになってしまう。この言葉を思ってしまった自分自身が冷たいことに気づいてしまうからです。
 あくまで、善意のはずなのにここで善意はすべて消えてしまう、冷たい言葉なのです。

 だからこそ、僕はこの言葉を嫌い。発さないように心がけています。

4. そう思わないためのマインド

 ここでは、2つの考え方を紹介していきたいと思います。

① 一つの善意は一つごとに区切りをつける

 あなたが善意で相手にしたことで、相手に貸しを作ったとか思わないことです。この善意の行動を誰にしたかではなく、どれだけ積んでいけるかという認識に変えていくことが大事だと思います。

 その善意ある行動は一つで区切りをつけて相手から見返りが来る期待を捨てましょう。

② 善意でしたことは必ず返ってくる。

 僕は、善意でしたことは必ず返ってくると思います。

 しかし、ここで大事な認識はこの返してくれる人が必ずしもその相手からではないということです。それがそれを見ていた人か、全く関係のない人なのかは分かりませんが、どこかしらから返ってくると僕は思っています。

 でも、ここに本質があると思います。徳を積んでいくことはもちろん自分のプラスになることは自明ですが、求める視点を変えることで、がめつい感じも出ませんし、相手に対してイライラしたり相手に対して自然な態度をとることができ、より人格者のようにふるまえると考えています。

5. 最後に

 結局、見返りは求めてるような感じにはなりましたが、こういう風に自然な振る舞いで徳を積んでみてはいかがでしょうか。

 すくなくとも、僕はそう考えていますし、みんながこういう風に思えるようになればもっと平和なのではないかなとをも思います。

 押しつけがましい善意になってしまうと本当にもったいないなと思ってしまうので、ぜひ読んでくれた皆様もこういう考え方もあるんだなと参考にしてみてください。

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